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京都レポ 2018~チンアナゴとパリピを添えて~

本記事は2018年科学世紀のカフェテラスに参加するため、11/10(土)、12(日)の二日間で訪れた京都のレポートです。


一日目(11/10)


 初めに、今回の旅を共にしたイかれた仲間を紹介するぜ。
 僕の大学のフレンズであるシオミシューコ(偽)に同行してもらいました。某アイドルの塩見周子とは何ら関係はありません。七歳のJKです。

 前日まで曇りや雨が続いていましたが、当日はよく晴れていて、公共交通機関も特に乱れなく、何の問題もなく京都へ辿り着く事が出来ました。
 到着したのは10時30分程。とりあえず京都駅前のカフェ・ヴェローチェで一休み。夜行バスより圧倒的に高いQoLを備えた新幹線ですが、やっぱり疲れる事には疲れますよね。今後の方針を定めるためにも、一度腰を落ち着けたかったというのもあります。

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ちなみに僕は珈琲で舌を火傷しました。ほら、普段自分で淹れた珈琲ばっかり飲んでるから、火傷するレベルで熱い珈琲に慣れてないんですよ。
 15時からライブ会場が開くので、移動時間も加味して3時間程の時間をつぶす必要があったので、京都水族館に向かいました。

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 京都水族館の名物と云えば、イルカとペンギンです。どちらも飼育にお金のかかる生き物なので、それなりの規模の水族館でしか展示できません。設備の綺麗さも併せて、中々お金持ちの水族館なのかなと。一年ぶり二回目に訪れて、そんな感想を抱きました。しかし、イルカショー、ペンギンのエサやり、いずれのタイミングを逃すという間の悪さを見せてしまいます。眠そうにしているペンギンも可愛いんですけどね。また、推しペン総選挙なるイベントもやっていました。アイドルペンギンユニットのセンターを決めるそうです。僕には見分けが付かないので、よく分かりません。
 メインディッシュを逃して少し落胆していると、訪れたのが11/11日の近日という事もあり、とあるイベントをやっていました。
 11/11と云えば、そう「チンアナゴの日」です。
 チンアナゴの展示が大きく拡大されており、チンアナゴのエサやりも見ることが出来ました。あいつら、体長400mmもあるそうで、見えている顔は氷山の一角ということですね。
 チンアナゴの展示の付近でチンアナゴくじという一回1000円のくじ引きが行われており、一等は巨大なチンアナゴのぬいぐるみでした。
「明日のイベントの席に居るの、あのチンアナゴのぬいぐるみでいいんじゃないかな」
「チンアナゴもスチームパンクとか書くんだ」
「clown=チンアナゴ説」
 という訳で、clown改めチンアナゴです。よろしくお願いいたします。


 水族館では一時間程度しか潰せなかったので、近くにあった本願寺の周りをぐるっと一周し、京都駅前に戻り、昼食をとりました。五右衛門というパスタのお店で、どうやら全国チェーンのようですね。きのこのパスタ、美味しかったです。一番のツッコミどころは、店の前の「渋谷スペイン通り」という看板。
「渋谷でもなければスペインでもないんだけど」
「東京ドイツ村的な」
「ここは千葉だったか」


 次に向かうのが京都FANJ、ライブ会場。あの日視た幻想5の開催場所です。

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 二回目の参加ですが去年は台風と宿のチェックインの時間の都合から途中で抜けなくてはいけなかったので、最初から最後まで聴けたのは今年が初。一言で云うと、めっちゃよかった。
 同人小説書きにあるまじき語彙の貧しさですが、本当によかった。大体の曲は知っていましたが、目の前で演奏されると、とても新鮮ですね。一番驚いたのは、去年聴けなかったGET IN THE RINGの演奏。Voのみぃの歌が圧倒的で、魅了されました。CD音源よりも上手いまであるんじゃないかな、という迫力がありましたね。元々好きなグループでしたが、一層好きになりました。

 台風に追われないによって生じる圧倒的な時間の余裕を噛み締めながら夕食をライブハウスの近くのガストでとり、ホテルに向かい、特に問題なくチェックインして就寝。一日目は終了です。


二日目(11/11)



あまり寝てません。具体的には二時間くらい。とにかく眠りが浅くて数十分おきに時計を確認していました。ベッドが悪いとか枕が悪いとかそういう話じゃなくて、多分精神的なお話。冬コミの時に興奮して眠れなかった誰かの気持ちが、少し分かった気がします。
 前日に買い込んだパンを朝食にして、支度をすませて9時前にチェックアウト。その足で京都駅前のカフェ・ヴェローチェに向かい紅茶をキメます。英国紳士たるもの、紅茶は欠かせませんからね。
 ヴェローチェに向かう途中で遭遇したのが、茶髪にフォーマルな法被のような衣装を着た集団です。駅前にたむろし、髪の毛をセットしていました。
「パリピかな?」
「たぶん」
 ヴェローチェを出た頃には居なくなっていたのですが、京都秘封の会場、東山駅へ向かう途中の地下鉄でまさかの再開を果たします。そして、何故かパリピも東山で降車。
「パリピも京都秘封に?」
「まさか」
 もちろんそんな事はなかったようで、途中でどこかへ曲がっていきました。調べたところによると「龍馬よさこい」というイベントに向かう一行だったようですね。
 大きな鳥居を潜れば、みやこめっせは直ぐそこでした。

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 結論から云うと、内定でした。
 ちなみにグレードは
合格 < 優勝 < 内定です。

 新刊は予備分除いた全てが売れ、既刊も10冊程売れました。多くの方に手に取って頂けて、本当に嬉しい限りです。内容は割と尖ったものなので、楽しんでもらえるかどうか非常に不安ですが……。
 それと、とても嬉しかった事がありました。前作、箱庭の感想を貰えた事です。
 普段僕は他のサークルと交流を持つ事なく、内容について誰かに相談することもなく、本当に一人で黙々と小説を書いています。そうすると、時々疑問に思うんですよね、何で小説書いてるんだろうか?と。ぶっちゃけ誰も僕の本なんて読んでないし、筆を折っても誰も困らないし悲しまないよなって。
 作品として作る以上は読者がいて、その対象の事を考えずには小説は書けません。同人だから好き勝手にやればいいというのはそうなんですが、それだけではやっていけないんですよね。壁に向かって小説を書くのは虚しくてとても辛いものです。
 そんな中で、イベントで感想を貰えると、小説書いててよかったって思いますよね。本当に嬉しかったです。誰か一人でも僕の本を読んで面白いと思ってくれる人が居るなら、小説を書き続けようという気力が湧いてきます。最初のイベント、去年の京都秘封から毎回僕の本を買っていって下さる方もいて、本当に嬉しい限りです。
 今回のイベントで僕の本を手に取って頂いた方々に、改めて深い感謝の気持ちを。ありがとうございました。楽しんでいただければ幸いです。

 内定の後、疲労感と共に京都駅へ向かっていると、見覚えのある集団が。
「パリピだ……」
 パリピでした。

 その後は関係者各位にお土産を買い、新幹線に乗り帰路につきます。

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 去年と比べると二回目である程度の勝手が分かっていた事や、台風に遭わなかった事などから、非常に落ち着いた旅になりました。去年が異常だっただけという説もありますが。
 何はともあれ、最高の京都旅行でした。
 できれば、来年も参加したいですね。


 以上簡易的なレポでした。
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理解されようとしない事

武蔵野美術大学の芸術祭に行ってきました。
学園中央にある広場では様々な演目があったようで大いににぎわっていたようでしたが、僕は人混みが苦手なのでずっと展示に逃げていました。展示品は主に絵画で、テーマごとに棟が分かれています。一日であれらを全て見て回るのは、よっぽど雑に見て回らない限り到底不可能だったので、パンフレットを参照して選択的に見て回りました。

最初に入ったのは油絵、日本画の展示を行っている棟です。
まさか、はじめに入ったこの棟を見て回るのに一時間以上かかるとは思っておらず、驚愕しました。そんなにのめり込んで見ていたのかと。特に抽象絵画の油絵に魅入ってしまいました。
以前、具体的には僕が美術部に所属して絵を描いていた頃は写実主義の絵が好きでした。写真のように緻密で繊細な絵が好きで、逆に印象派から派生したような絵はあまり好きではありませんでした。しかし、改めて抽象絵画を眺めてみると、凄く面白いと感じました。理由は分かりません。でも、人の感性なんていくらでも変わるものです。それに好き嫌いに理由を求めるというのも、難しい話でしょうから。
抽象絵画の絵の一番素敵なポイントは、作品が理解されようとしていない所だと思います。
写実主義の絵というのは、明確な対象物があり、それを鮮明に表現することを目的にしています。ありのままを捉え、ありのままを伝える事を主眼に置いた絵です。それに対して、抽象絵画の絵は一目見てそれと分かるような具体性がありません。というのも、絵を描いた人のコメントを読む限り、極めて概念的で目に見えない観念を、自身のクオリアを通して表現している為です。つまり「私はこう思います」と、絵を通して表現している訳です。それに共感できるか否かというのは我々見る側の人間の問題になってきます。云ってしまえば、云いたい事だけ云って投げっぱなしという訳です。
でも、逆にそれが素敵だなって思う訳です。自分の云いたい事、でも言葉に表せない事を絵で表現できるって事が羨ましい。それに理解されようとしていない絵って孤高で気高い感じがしますよね。小説だと、当たり前だけど絶対にできない事です。読み手を意識せずに文章は書けません。自己満足で書いた文章は黙って自分のパソコンに仕舞っておきましょう。だからこそ、そういう在り方が羨ましく感じるのかもしれません。

他の棟は割とダイジェストで見てしまったので、油絵ほど深く考察できませんでした。でも、私の創作意欲を大いに掻き立ててくれた事は確かです。
というわけで、逃避してた京都秘封のポスター制作をそろそろやろうかなと思います。
来週は多摩美術大学の芸術祭に行こうかなと。

こんな星の夜は

こんな星の夜は
全てを投げ出したって
どうしても
君に会いたいと思った
こんな星の夜は
君がいてくれたなら
何を話そうとか


いつものように何となくウォークマンで音楽を聴いていた時、流れてきたこのフレーズ。
ご存知だろうか?
ELLEGARDENのスターフィッシュという曲だ。もう14年も前の曲らしい。
この曲を初めて聴いた訳じゃない。10年程前からずっと好きで、時々聴いていた曲だった。
でも、急に、ふと思ってしまった。


めっちゃ秘封っぽくない?


【スターフィッシュ歌詞】
作詞/作曲 細美武士

おとぎ話の続きを見たくて
すぐ側のものは見えなかった
平気になった媚びた笑いも
まとめて全部 剥がれ落ちるような

綺麗なものを見つけたから
また見えなくなる前に

こんな星の夜は
全てを投げ出したって
どうしても
君に会いたいと思った
こんな星の夜は
君がいてくれたなら
何を話そうとか

ほどけかけてた靴のひもを
いじりまわして気を紛らわす
あと2駅がバカに遠い
諦めないなら焦る事もないさ

綺麗なものを見つけたから
また見えなくなる前に

こんな星の夜は
全てを投げ出したって
どうしても
君に会いたいと思った
こんな星の夜は
君がいてくれたなら
何を話そう

I thought there is no such thing as
Unchanging over a thousand years
I wonder how I could miss it
My friends
I thought there is no such thing as
Unchanging over a thousand years
I wonder how I could miss it

こんな星の夜は
全てを投げ出したって
どうしても
君に会いたいと思った
こんな星の夜は
君がいてくれたなら
何を話そうとか



(ELLEGARDEN BEST 1999-2008 歌詞カードより引用)






音楽って聴いてる時は割と聴き流してしまう事が多くて、歌詞の意味とかあまり考えないんだけど、改めて歌詞カードをまじまじと眺めると発見があって面白い。明るい曲調に暗い歌詞を乗っけてあるのも好きだし、暗い曲調だけど実は幸せな曲だったりするのも好き。そのギャップが良いなって思う。
この曲は、その点非常にシンプルだ。ミドルテンポのしっとりしたサウンドに、少し切ない歌詞が乗っている。

ではこの曲を秘封倶楽部の曲と捉えて見てみよう。
秘封ボーカルアレンジに頻繁に用いられる「星」「夜」「駅」の3ワードが押さえられている。それに、歌詞から想像される情景が非常に秘封っぽい。
この曲の主人公は蓮子だ。何らかの要因でメリーと二度と会えない、あるいは今すぐに会うことが現状困難である、といった状況だろう。サビの感情的な様子とは対照的に、二番のAメロでクールぶってる描写が、そこはかとなく蓮子みを感じる。

ポイントとなるのは英語の部分。
僕の拙い英語力で訳すならこうだ。


千年経っても変わらないものなんて、無いと思ってた
どうして私は気付けなかったんだろう
ねえ、メリー
いつまでも変わらないものなんて、無いと思ってた
どうして、私は気付けなかったんだろう



My friendsなのにメリー1人なの?という疑問を抱くだろう。
friendの複数形、friendsには「友達同士」といったニュアンスが含まれる。つまり、My friendではなくMy friendsと呼びかける事で、一方通行の友情ではなく、二人は友達だったという事が強調されていると考えた。
後悔のような感情を含んだ、独白めいたフレーズの後、ラスサビがやってくる。冒頭でも示したものだ。


こんな星の夜は
全てを投げ出したって
どうしても
君に会いたいと思った
こんな星の夜は
君がいてくれたなら
何を話そうとか



夜空を見上げて佇む蓮子、そんな映像が目に浮かびませんか?
もう蓮子とメリーの事を歌った曲にしか聴こえない。もう歌しか聞こえない。


それはそうとして、スターフィッシュは佳い曲だよね。ELLEGARDENらしくエモい。
他にも佳い曲を作ってるので、聴いてみると良いんじゃないでしょうか。折角今年復活したし。
先ずはベスト盤とか、オススメです。

レズセックスはセックスなのか?

最近、百合というジャンルが市民権を得てきた気がする。百合を扱った漫画は着実に増えているし、それらがアニメや映画に発展する事もある。大型書店では百合作品のコーナーが出来ている。百合展なる展覧会も紆余曲折を経て開催されている。
確実に、以前よりも百合というジャンルに属する作品を目にする機会が増えているだろう。百合の愛好家として、とても嬉しいものがある。

そんな市民権を得た百合に関して、少し思うところがある。それはタイトルにもある通り、「レズセックスはセックスなのか?」という問いだ。

何云ってんだ?

ここでのセックスは「人間的本能(性欲)に基づいた性行為」と定義する。
ところで、どこかで聞いた話なのだが、オタクが二次元のキャラクタを愛でるのは性欲から来るものらしい。虚勢すると、二次元のキャラクタに興味が無くなるのかな?
性欲って云うのは思ったよりも広い範囲で人の生活に根付いていて、これを排除することはまず不可能だろう。

さて、ここで問題だ。
百合に限らず、同性愛というのは性欲から生じるものなのか?
機能的に子供は出来ない。セックスは出来ない。出来たとしても、それは形式的なもの。子供を作ることをセックスの意味とするならば、その行為に意味は無いだろう。
確かに、パートナーとのコミュニケーションとしてのセックスは有ると思うんですよ。でも、それって結局は人間の根底にある欲求、性欲から生じてるものなんじゃ無いのかな。その辺は人の主観でしか計れない以上、分からないけれど。


少々昔話を。

筆者の後輩にバイセクシャルの男が居た。素行はあまり良くなかったが、高身長でイケメンだ。そんな彼が、きっかけは覚えていないけれど、自分がバイであることを話してくれた。特に驚かなかったと思う。驚く程に自然に受け入れられた。
彼は、性同一性障害の“彼女“が居るんだと写真を見せてくれた。(“彼女“は体が男性のもので、心は女性ようだった)
更に、彼は彼氏が欲しいとも云っていた。元気だなって思った。
筆者はヘテロセクシャルなのでよく分からないのだが、彼氏が欲しい季節と彼女が欲しい季節が有るらしい。興味深いメンタリティだが、ここではその話を割愛する。
「その子、好きなんだ」と月並みな、質問であるかも怪しい問いを投げると、彼は晴れやかな顔で「はい」と云った事を今でも覚えている。


その時、綺麗だなと感じた。何が綺麗なのか、その時は全く分からなかったのだが、確かにそう感じた。
今思うと、彼の「好き」が人間の本能的な部分に基づかない「好き」だから、綺麗と感じたのではないだろうか。人間的な機能とは関係の無い、心から生じた、純粋な「好き」がそこには有ると思う。


閑話休題。

彼の例を挙げて云いたかった事は、同性愛は人間的本能では無く、心から生じたものであるように感じられるという事。
彼らは、恋愛において、人間であるという拘束条件に縛られないのだ。自分の恋愛感情は、自分自身のものだと云い張れるのだ。
それが、少し羨ましく思う。


だらだらと書いたのだが、要するに、レズセックスはヘテロセクシャルにおけるセックスとは違った意味合いを持っていると筆者は考える。
レズセックスはセックスじゃない。無意味だからこそ意味が有る。それを、「尊い」って表現するんじゃないだろうか?


以上、原稿に行き詰まって殴り書きした何かでした。

例大祭が悔しかったってお話

先日の春例大祭にて「メリーの箱庭」という作品を発表しました。陰気なサーカスとして活動を始めてから三作目になります。本記事はその「メリーの箱庭」を執筆するにあたって考えたこと、またイベントの感想等を記したいと思っております。


先ず、例大祭当日のお話から。
売り子をお願いしていた俺とお前とアルコールの己くんに手伝って貰って、設営したり実際に売ったり。
そんな中で悔しかった事が有りました。
まぁ、とても単純な話で、僕の本はそんなに売れなかった。実際、知名度の面でも実績の面でも実力相応の売れ方と云われればそれまでかと思います。でも、僕はとてもショックでした。
今回の作品は会心の出来でした。初めて売りたいと思えるレベルの作品になったと思います。だから、折角だから、多くの人に読んで欲しかったんですよね。
今まで、売れるか売れないかなんてどうでも良くて、読んでくれた人が面白いって思ってくれればそれで良いってスタンスでした。しかし、今回は確かに売れて欲しいって思いがあったみたいです。自分でも、自分の心境の変化に戸惑いを覚えました。売れて欲しいと思うことは女々しいことだと思っていたからです。自分の中に、そういった女々しい部分が有ることが許せず、素直になれませんでした。
イベントが終わったあと、正直倒れそうなくらいショックでした。暫く自暴自棄になりました。弱い部分を自ら自分に突きつけているような感覚でした。
あとから考えると、あれは悔しかったんだと気付きました。僕は、自分の本が売れなくて悔しかったんだと。
少し日を置いて、距離を置いて、ようやく気づくことが出来ました。

自分の中の感情を再度整理すると、その心境の変化は決して悪いものでは無いように思われます。自分の作品を売りたいと思うこと、良い作品が売れて欲しいと思うこと、悔しいと思ったこと、これらをバネに、陰気なサーカスとして活動をしていきたいと思いました。

以上が例大祭当日のお話です。以下、メリーの箱庭のあとがきの補足等々。少しネタバレするかも知れません。


今までの三作品はいずれも「心とは?自分とは?」というテーマのもとで、秘封倶楽部の二人、蓮子とメリーの関係を描いたものです。今作では秘封倶楽部の始まりと終わりにフィーチャーして、監禁という味付けをしながらこのテーマに向き合っています。

作品を書き進めていくうちに、ある問題にぶち当たりました。「百合とは?」という問題です。
広義に百合とは「女性同士の恋愛、あるいはそれに近い親密な関係」の事を指すそうです。成る程ね。
しかし、言葉では分かっていても、それを上手に文章に起こすことが難しいのです。筆者は男です。女性的な感性で女性を見つめ、恋や愛といった感情を想像するのが極めて難しい。「百合、かくあれかし」というテンプレートがあれば良いのですが、当然そんなものはありません。それに、どんな百合でも好きかと問われると、全くそんな事は無かったんですね。例えば、少し前にアニメ化されていたcitrusは百合作品ですが、あまりピンと来ませんでした。

私が始めにしたことは資料探しです。自分が好きな百合とは何なのか、今一度問い直す為、様々な百合作品に触れ、私が佳いと感じるものには一体どのような共通点が有るのかを探りました。
色々と探る中で、琴線に触れたものは3作品程。「加瀬さんシリーズ」「やがて君になる」「ヒメゴト~十九歳の制服~」。
「加瀬さんシリーズ」はピュアで真っ直ぐな百合。受け攻めがはっきりしていて、受けの女の子の可愛らしさと、攻めの女の子の言動の格好良さが魅力的です。
「やがて君になる」は面倒くさい百合。情景描写や表情の変化が素敵で、モヤモヤすると同時に先が気になるような作品です。
「ヒメゴト~十九歳の制服~」は百合作品ではありませんが、百合っぽい表現があるので参考にしました。倒錯的でドロドロした女性的な心理描写が心を深く抉ります。

この3つの共通点?

無いんですね。統一的な方向性が有るわけではなく、好きだから好きって感じ。困り果てました。結局自分がどんな百合が書きたいのか分からない。

1ヶ月くらい書いては消して書いては消してを繰り返し、色々と思い悩みました。
最終的には、まぁ……読んでみて下さい。これがベストかは分かりませんが、これが好きと自信を持って云えます。そんな純粋な百合、純愛が好きな人に読んで貰いたいなってお話。

それとこの作品、電子版を作ろうかと思っています。販売元はDLsiteかboothか分かりませんが、いつか出します。良かったらそちらで読んでみて下さいな。

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Author:clown
動物も居なければ、トランポリンもブランコも無い、道化師1人の演目を御覧あれ。


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