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陰気なサーカス

えとぶんしょうをかくそんざい

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夢現Re:Masterの感想メモ


 ネタバレを含むよ。気を付けて。


・全体を通して
 百合ゲーである以上に、何かを作ったことのある人だったら感じる所が有ると思う。(ゲーム作ってるメーカがゲーム制作をテーマにするって、結構な自虐的な気がするけど)同人小説家として、共感できる部分や勉強になる部分があって、楽しく読み進めることができた。
 百合の部分も、一切男が出てこない上、女同士でも子供のできる設定(婦婦と書いて「ふうふ」と読ませる)もあり、狂気的なくらい徹底している。
 凄く丁寧に作られた百合ゲーってのが、全体としての感想。
 あと、購入のきっかけになった藤ちょこの絵は、やっぱり綺麗。


・なな√
 この√は一般的なADVとは異なる形を取っていて、ヒロインの√がヒロインの視点で進行する。選択肢も出るから、ヒロインが主人公を攻略するって感じかな。それが上手に機能している。
 彼女は本作のヒロインの中で一番「女っぽい」キャラクタだ。計算高くて腹黒くて、でも情に流されてしまう場面もある。そういう心理描写は、彼女の視点だからこそできるものだと思う。ADVだとどうしても主人公の心理描写に終始してしまうからね。
 たとえば、最初に主人公に好意を向けられた時の冷めた感じとか、凄く良いなって。「ななの好き」と「あいの好き」のギャップが少しずつ埋まっていく感じが、ドロドロしてて、面倒くさくて、好き。
 Bad Endの主人公が怖い。白衣性恋愛症候群の頃から思っていたけど、Bad Endが本当にぞっとする。ただ、心の壊れた女の子は大好き。


・マリー√
 少し、掘り下げが足りなかったような気もする。主人公に惹かれた一番の理由は、自分を見つけてくれたから?
 マリーは他√での立ち回りが素敵だし、マリーというキャラクタの魅力が曇る事もないのだけれど、少しだけ残念だったり。


・さき√
 初見ではクールロリババア系のキャラかなって思っていたんだけど、凄く大人で、魅力的なキャラクタだった。ライタって立場が共感できたこともあって、プレイしていく中でどんどん好きになっていった。さき先生大好き。
 このルートでは、三人称的な視点が取られていて、各登場人物にそれなりにスポットが当たる。そしてそれぞれの登場人物が、さきを通して成長していく。
 さきは思慮深さと人間臭さのバランスの良いキャラクタで、頼りになるし、親しみやすくもあるし、憎たらしくもある。そういう魅力を十二分感じられる、王道サクセスストーリィだった。
 でも相変わらず、Bad Endの主人公が怖い。どうしたお前?ってなる。


・こころ√
 途中まで「何じゃ?」って思って読んでた。ファンタジィが過ぎるのでは?って。でも、リ・マスターアップ=Re:Masterとか、姉妹の名前は夢と現とか、タイトルが回収されるに連れて、この作品って夢=フィクションと現=リアルの中間をふわふわと浮かぶ話なんだなって気付いた。だから、最初は首を傾げていたゲームのキャラと魂が入れ替わっているっていう設定も、自然と受け入れて入る自分がいた。そういうドグラ・マグラ的な効果(?)を狙ってるいるのかどうかは分からないけれど、凄く説得力が有るなって。
 こういうふわふわした話って、結構好みが分かれると思うんだけど、僕は好き。
 他の√とは一線を画す、不思議で、素敵な読後感だった。本当に、素敵な大団円。


・雑感
 本当に久々に寝る間を惜しんでゲームをした気がする。それくらい楽しかった。
 ずっと行き詰っていたというか、死んでいた創作意欲が掻き立てられたので、ひと段落したら僕も小説を書こうかなって。
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「賢さ」の定義と表現についての考察

0.はじめに

 小説や漫画などのフィクションに限らず、実生活にも通じる話だ。
 誰か (実在する人物でも、フィクションのキャラクタでも) を「賢い」と感じる時、それはその人物のどのような部分に、そう思わせる要素があるのだろうか?
 それを明らかにすることで、創作をするとき、あるいは日常生活の中で賢さを演じたいとき (要するに格好つけたい時) 、役に立つだろう。本記事では、筆者なりに長年考察してきた結果を、少し話してみようと思う。




1.「賢さ」の定義

 賢いと云った時、その意味する所は大別すると二種類に分かれる。
 一つが、「経験、知識が豊富で知恵が富んでいる」という意味。
 もう一つが、「頭の回転が良く、機転が利く」という意味。
 これらには不可分な側面もある。頭の回転が早いというのは、なにも先天的に身についている能力ではない。対象を限定すれば訓練を経ることで身に着けることも可能な素養だろう。経験や知識なしに人一倍のパフォーマンスをする人物は、確かに賢く見える。しかし本質的には、努力によって能力を磨き、人一倍のパフォーマンスをする人間と変わらないとも云える。
 結果だけ見るなら、前者と後者は分かちにくい。しかし、ここでは前提として、このような区分があるとしよう。
 以下の話は、基本的には創作の中での話になる。




2.知恵に由来する「賢さ」

 前者の、「経験、知識が豊富で知恵が富んでいる」という意味の賢さを表現するのはさほど難しくない。キャラクタに博識さを披露させればいい。
 例えば、学校の教科書の隅っこに載っているような他愛もない、けれどあまり他の人が知らないような知識を、あるいはニッチでコアな知識を、平然と語らせる。得意げに語らせてはいけない。あくまでその賢いキャラクタにとっては、その知識が当たり前のものであるように振舞わせる。
 一つ、注意しなくてはいけない事がある。それは、披露する知識のレベルが絶対的に高くなくてはいけないという事。つまり、賢いキャラクタは他の登場人物よりも相対的に賢いのでは不十分という事だ。

 詳しく説明しよう。
 他の登場人物の知識レベルを下げることで相対的に賢さを演出するという手法は、極めて陳腐だ。当たり前の事を、あたかもコペルニクス的転回であるかのように述べ、他の登場人物を驚かせる事で、賢いキャラクタを持ち上げてはならない。賢いキャラクタは絶対的に賢くなくてはいけない。
 賢いキャラクタが披露する知識は、読み手にとっても耳馴染みのない知識であることが望ましい。他の登場人物にとっても、読み手にとっても真新しく、十分に博識であると感じられるものである事が大切だ。そうしなくては、読み手が白けてしまう。

 この表現を用いる際、重要になるのは書き手の教養である。人は自分が考えている以上の事を書くことは出来ないので、書き手よりも賢いキャラクタを描写する事は不可能だ。賢いキャラクタを描写したいのなら、あるいは賢い人物を演じたいのなら、教養を養う必要がある。「賢さ」を陳腐なものにしない為の根拠が必要という事だ。 (当たり前な気もする。)
 この「賢さ」は非常に分かりやすい賢さだ。表現し易いし、理解もされやすい。手軽に賢いキャラクタを描写したいのなら、こちらの賢さを使うことをオススメする。
 これは実生活でも応用できる。自分に対して一定の敬意を払わせたいのなら、賢いキャラクタを演じると良い。例えば、塾講師などをやっている人が対象だ。とりあえず生徒の信頼を勝ち取りたい、あるいは講師としての威厳を誇示したいのなら、生徒に「へぇー」と云わせるような面白い知識を披露すれば良いだろう。




3.機転に由来する「賢さ」

 後者の「頭の回転が良く、機転が利く」という意味の賢さは、表現するのが非常に難しい。書き手が実際に頭の回転が早い、いわゆる天才ならば話は簡単なのだが、多くの場合そうではないし、天才でなくては描写できないなんて結論では、少し寒い。
 当意即妙を文章的に表現しようとしても、上手く表現できない事が多々ある。描写が陳腐になりがちだ。先ほど云った、周りを下げることで賢いキャラクタを上げる表現になってしまいがちなのだ。そうならない為にはどうすればいいのか、筆者なりに考えた手法を幾つか紹介しよう。

(ⅰ) 極論に走る

 極端な観点から物事を眺めてみる。例えば、限界まで効率を追求する観点に立つ。非人間的で、実現不可能と思われるような観点で物事を考えると、普段は思いつかないようなアイデアが得られる事がある。得られたアイデアを改めて合理性と照らし合わせ、論理的に破綻していない事、また十分な説得力を有している事を確認してから、賢いキャラクタに語らせると良い。
 既存の観点で語っていては、凡人の発想の域を抜けることはない。天才でない人間が天才の人間の思考をトレースするのであれば、中途半端な立場ではなく極端な立場に立ってみた方が良いだろう。

(ⅱ) 問答法

 賢いキャラクタは初めから真実、結論に至っているという前提で、対話するキャラクタを真実に導くような立ち回りをさせる。この手法を用いれば、賢いキャラクタの頭の回転の早さを演出すると同時に、問答の中である程度の説得力を持たせる事も可能である。
 これにも注意すべき点がある。それは、論理の破綻だ。
 問答、会話の中で論点がズレてはいけないし (仮にズレたとしても、即座に賢いキャラクタはそれを修正しなくてはいけない)、読み手に取って十分に納得できる論理展開である事が非常に重要となる。少しでも論理に飛躍があって、読み手が首を傾げるような事があってはならないのだ。
 こちらの手法はやや説教臭くなってしまう為、多用する事は推奨しない。ポイントを押さえて、クリティカルな場面で用いることが望ましい。しかしながら、(ⅰ)よりも使い易い手法なので、もしも機転に由来する「賢さ」を演出したいのなら、十分に論理を吟味した上で、こちらを用いると良いだろう。

 実生活で、演じるのは難しい。結論、本当に頭の回転が早くなくてはこの賢さを演出する事は出来ないのだ。多くの人間にとってこれは非常に難しい。大人しく、本物の天才に任せよう。




4.おわりに

 以上はあくまでも、賢くない人間が賢くないなりにどうやって「賢さ」を演出するか、という話だ。本当に賢い人はこんな事を考えなくても構わないのだろう。技術というのは、持たざる人間の為にあると考えている。
 創作をする時、あるいは実生活の中で賢い風を装いたい時、これらの技術が参考になれば幸いである。また、他にもこんな手法があるよ、などといったアドバイスがあるならば、是非とも教えていただきたい。
 

2019年上半期小説大賞 ~橋と潜水艦、そして鮫~

皆さんは本を読むだろうか?
ここで云われている本は、小説、エッセイ、新書……etc.で漫画や雑誌は含まれていない。
もし読むとしたら、あなたはマイノリティだ。月に一冊も本を読まない人間が、日本では47.5%を占める(※1)。これは平成26年の調査だから、今ではもっと減っているだろう。みんな、スマホに夢中だからね。
筆者は月に5、6冊、主に小説を読む。結構読むでしょう?読書家なの。

さて、そんな筆者が今年の上半期に読んだ小説の中で、特に佳かったものを紹介しましょう。選考対象は筆者が今年読んだ本で、今年発行された本ではないので、悪しからず。


銅賞:そして二人だけになった Until Death Do Us Part
(著)森博嗣 (出版社)講談社文庫
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http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000312858

1999年の本で、新装版が2018年に出た。世間(Amazonレビュ)では割と賛否両論の作品。
傑作長編ミステリと銘打たれているけれど、ミステリとしてはイマイチだ。トリックというか、オチが酷い。期待して読むのは止めた方がいい。
ボロクソに云っているけれど、筆者はこの小説が凄く好き。氏の小説に、ミステリ要素を求めていないんですよね。森博嗣作品に出てくるキャラクタの心の動きや描写が好きだから、長編ってだけで評価できる。森博嗣の文章はガラス細工のように繊細で、冷たい感じがする。とっても綺麗なので、ずっと眺めていられる。森博嗣の文章にずっと浸っていたい人向け。
それに、ミステリとして見ればイマイチでも、キャラ萌え作品として見ると、そんなに悪くない。まんがタイムきららだと思えば、割と楽しめると思う。可愛い絵柄の作家が描くキャラクタに萌えるのと同じように、素敵な文体で書かれるキャラクタに萌えるってこと。中身は気にしない。
筆者は森博嗣の熱烈なファンなので、フラットな視点でこの作品を評価することはできない。けど、氏の本の入門としては悪くない。「すべてがFになる」よりはオススメできるんじゃないかな。



銀賞:サブマリン
(著)伊坂幸太郎 (出版社)講談社文庫
9784062199537_w.jpg

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000189686

あの傑作、「チルドレン」の続編。伊坂幸太郎らしさの詰まった綺麗な複線回収と鮮烈な結末、頭から尻まで突き抜けるような圧倒的スピード感が特徴的。
と、云ったけれど、本書は従来の伊坂作品とは少し違う部分もある。スピード感、破天荒さ、構成の巧さ、どれを取っても一級品であること確かだ。しかし、「陽気なギャング」や「オー!ファーザー」のような大団円を期待すると、少し違和感が残るかも知れない。つまり、後味が悪い。
諸手を挙げて、ハッピーエンドだ!やったぁ!とは云えないけれど、ちゃんと救いはある。結末をハッピーエンドと捉えるか否かは、読者に委ねられている。
筆者はそういった『一見ハッピーエンドに見えるけれど、よく考えたらあんまりハッピーではないような掴み所のない話』が大好物だ。だから、筆者は伊坂作品群の中でも、トップクラスに本書が好き。(「アヒルと鴨のコインロッカー」と迷うかな)
伊坂が好きなら是非オススメしたい。そして、結末を受け入れられるか、自分で考えてみて欲しい。



金賞:自由なサメと人間たちの夢
(著)渡辺優 (出版社)集英社文庫
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http://renzaburo.jp/same/

大森靖子大絶賛っていう帯に惹かれて買った。誰に向けてアピールしてるのか分からない帯ってよくあるよね。東大生イチオシ、みたいな。東大生の誰だよ。
ところで、大森靖子って知ってますか?自称超歌手のやばいヤツです。何がやばいかは、まぁ調べてみてね。ついでに曲も聴いてみて。
それはさておき、これはメンヘラ文学だ。

閑話。
メンヘラ文学って何?
ご存じないと思うが、筆者も実は趣味で小説を書いている。そして、自分の小説をメンヘラ文学を称していた。キャラクタが心の底に堆積したらドロドロした部分を吐き出す、露悪的な小説。見方によっては露悪趣味が過ぎる小説。そういうものをメンヘラ文学を呼んでいる。
ちなみに大森靖子はメンヘラの代名詞。
閑話休題。

これはメンヘラ文学。
短篇集で、各章一つの欲望や願望がテーマになっている。それらは決して直視したくないような、できるだけ後ろめたい情動。分かり易いかどうかは別として、安易な表現をするなら『心の闇』がテーマだ。それが本書ではストレートに描かれている。
痛快な毒気が云々と紹介されているが、毒気はあまりない。ストレートに人間的だから、痛く感じるだけだろう。主人公に感情移入せず、主人公を第三者的立場から嘲笑ってみると、痛快ともいえるかもしれない。どの立場で読むかは読者の裁量だ。
本書は『心の闇』をテーマにしている作品にも関わらず、読後感が非常にさわやかだ。全体としてヌルッとしたお話なのに、ふわふわとした奇妙な、でも不快ではない感覚が得られると思う。そこが、本書の優れた点。前向きなメンヘラとでも云おうか。
読み終えた頃には、きっとサメが好きになってると思うよ。ボラボラ島で先に待ってるから、是非読んでみて欲しい。今年の筆者のイチオシだ。

※1 平成 25 年度「国語に関する世論調査」の結果の概要(http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/h25_chosa_kekka.pdf)

昏い夢~A Conceivability Argument~のあとがき

 本記事は、2019年博麗神社例大祭にて筆者が発表した「昏い夢~A Conceivability Argument~」のあとがきになります。多少のネタバレを含むため、読後に読んでいただけると良いかと思います。




 今回は、本当に好き勝手に書いただけだった。メッセージ性とか、テーマ性とか、そういう煩わしいことはあまり考えずに、思いついたままに書いた……つもりだった。
やっぱり、テーマもメッセージもなしに話は書けないので、その辺について少しだけ語ろうかと。

1. Contrary Love/盲目の天邪鬼

 冬頃に、眼鏡でコートなメリーさんは可愛いんじゃないかとって思い立ち、眼鏡をテーマにして一つ小説を書いてみようと思った。
 閑話。
 かたわ少女というフリーのエロゲがあり、そのヒロインの一人に砂藤リリーという盲目の少女が出てくる。その子のルートのテーマは「私が見ているもの、あなたにも見える?」だ。彼女は盲目だから、当然何も見えはしない。ここでいう「見える」とは「分かる」という意味に近いのだろう。
 二人が同じものを見たとき、それが同じように見えているかは誰にも分らない。でも見えるというメカニズムは光学的なもので普遍性があり、それを映像として認識する人間の脳のメカニズムも分かっている。従って、証明こそできないものの、おおよそ物の見え方というのは不変だと考えられている。というか、そうでなくては色々と困る。
「見てごらん、蝶々だよ」
「ん?私にはゴリラに見えるわ」
これでは困る。
閑話休題。
眼鏡というアイテムから、「見える」「分かる」といったテーマへ持って行き、それにメリーの恋慕を混ぜ込んで焼き上げた一品。
好きな人のことを知りたい。でも、知るのは怖い。そんな初な恋慕を抱えたメリーさんを可愛いと思ってもらえたなら嬉しい。

2. Chirality/虚ろな鏡像

 本編。名状しがたい何か。電波っぽいお話を書きたいとずっと思っていて、色々と悩んだ結果、こういう形となった。
 普段から筆者の好きな小説や詩、哲学書などから節操なくネタを引っ張りオマージュしているが、今回は輪をかけて多いと思う。読む人が読めば、どこかで読んだことのあるような場面が散見されるだろう。そういう自分の好きを、しがらみ(主に著作権)に囚われることなくありったけ詰め込めるのが“同人らしさ”だと思っているから、これはとても同人然とした話になったのではないかと感じている。
 サブタイのとおり、Conceivability Argument=ゾンビ論法が中心的なテーマになっている。ゾンビの視点で描かれる話は面白いんじゃないかな、なんて安易に考えて書き始めた数ヶ月前の自分に待ったをかけたい。確かに電波っぽい荒唐無稽な話にしたいとは思ったけれど、物語として崩壊するのは許されない。一つ物語として筋通しつつも、「結局この話は何だったんだろう?」と思わせられるふわふわした読後感を作りたかった。ドグラ・マグラみたいな感じを目指した。それがとにかく難しく、しんどかった。夢野久作はすごい。
 最後まで色々な部分で迷っていた部分があって、表現したかったことを表現しきれなかった、非常に悔いの残る話になった。とりあえず深く考えずに読んで、読後ぽかんとしてくれたなら、それは筆者の思惑通りで、とても嬉しい。


 以上なのだが、ちょっと小話をば。
 前作「群青」の感想を友人に貰い、少しだけ驚いた。僕はあの小説に百合的な要素を全く含んでいないのに、彼はそのように捉えていなかったようだ。表現するって難しいなって、改めて思った。結局文章力を上げるためには、善い本をたくさん読んで、たくさん話を書くしかないんだと思う。自己の表現の未熟さを恥じ、日々精進したいと思う。

 その延長線上で、少しだけ告知。このブログを、ここまで読んでいるような奇特な人間は、きっと筆者の熱烈なファンに違いない?いや、思い上がりも甚だしいな。
 次は京都秘封か、あるいはその先か。でも来年は例大祭の開催場所が関東ではないので、参加を見送るつもりだった。つまり、下手をすると新刊販売まで一年以上空いてしまう。話を書き続けることが僕のアイデンティティだから、それでは生きていけない。だから、中、長期連載の小説を不定期にpixivに上げようと思う。この間ちらっとtwitterで云った「承認欲求を満たしたい彼女(わたし)と、性欲を満たしたい彼女(わたし)」ってオリジナル小説になると思う。
 さらに、余裕があったらもう一つ、「喫茶マヨヒガの日常」という科学世紀の日常に溶け込んだ幻想郷の住民たちと秘封倶楽部のお話も、定期的に上げようかなと思っている。
 そんな感じ。期待せずに、でもpixivに上がったら読んでくれると嬉しい

群青~The City Is a Harsh Mistress~のあとがき

 本記事は、筆者が2018年科学世紀のカフェテラスで発表した「群青~The City Is a Harsh Mistress~」のあとがきです。多少のネタバレを含むので、読後に読んでいただけるとよいかと思います。




 何か新しいジャンルのお話が書いてみたい。例大祭に向けて執筆をしているとき、そんな事をふと思った。そして最初に思い付いたのがスチームパンクだった。これは筆者の性癖だ。何か作品を書いていると、次の作品の事を考えたくなる。集中力がないのだろう。
 気付くと、秘封スチームパンクの設定が箇条書きにされて2万文字ほどになっていた。折角だし書いてみようと思った。

 スチームパンクについてはwikiを見て貰った方が分かり易いと思う。要するに、蒸気機関が過剰に発展したパラレルワールド的な世界観で描かれるSFだ。日本ではかなりマイナなジャンルだと思う。有名なタイトルと云われても思い付かないだろう。
 似たようなジャンルにサイバーパンクがある。こちらは「AKIRA」「攻殻機動隊」を筆頭に、色々なタイトルが思いつく。我々の周りにはスマートフォンがあり、コンピュータがある。普段身近にあるものの方が、その発展系を想像し易い。見たことも聞いた事もないものを想像するよりも、身近なものをベースにして想像を膨らませる方が遙かに容易いだろう。故に、サイバーパンクのほうがポピュラで、未だにSFの主流となっている。
 マイナでサンプル数も少ない、日本では流行ったことがないし、海外でも下火のジャンルに何でわざわざ挑戦したの?
と、数か月前の自分を問い詰めたい。数か月前の筆者はそんな疑問を一切抱くことなく、楽観的にこのテーマで小説を書き始めた。

 初めにぶち当たった壁は、どこまでやりたい放題やっていいのかという事。
 秘封倶楽部の話を書いているのに、いわゆる秘封要素は欠片もない。蓮子とメリーの二人は大学生ではないし、オカルトサークルとしての活動もしない。二人の能力を拡大解釈しているし、蓮子はジェリコを片手に大立回り。
 これ、秘封でやる意味あるの?
 そういった疑問について、それとなく友人の己くんに尋ねたところ
「東方の二次創作なんて、だいたい東方でやる意味ないでしょ」
といった旨の返答が返ってきた。なるほど。

 筆者は先ず秘封倶楽部、蓮子とメリーの二人の魅力とは何なのかと考えた。
 それは「二人の間にある危うい信頼関係」だと、結論付けた。この結論に至るまで当然紆余曲折あり、苦しみ悶えたのだけれど、その話は割愛する。
 どちらか一方が欠けたら、もう一方も容易く壊れてしまう相互依存関係のようなものが、蓮メリに儚さや、妖しい魅力を与えているのではないだろうか。
 秘封のコアは「二人の間にある危うい信頼関係」であり、これが秘封を秘封たらしめるものであり、秘封っぽさの根拠であると定義し、本格的な執筆に入った。

 当初、「月は無慈悲な夜の女王」「異星の客」「ニューロマンサー」「電気羊はアンドロイドの夢を見るのか」といった古典名作SFを強くリスペクトしたガチガチのSFを書くつもりだった。
 しかし止めた。世界観を構築する膨大な固有名詞や特殊な設定を容易に理解できるのは、普段からそういったSF作品に慣れ親しんでいる人だけだろう。多くの読者にとって、それはストレスになる。読むのがストレスになるのは好ましくない。
 目指したのはラフなSFだ。話の構造を出来る限りシンプルして、話の進行上どうでもいい設定は作中で取り立てて言及しない事にした。

 今回のテーマは先に述べたように「二人の間にある危うい信頼関係」を表現することだった。それ以外は本当にやりたい放題にやったし、「こんなの秘封じゃねえよ!」という意見は真っ当だと思う。それでも、最悪の科学世紀というパラレルワールドで生きる蓮メリの一形態として、本作が納得のいくものであったならば、筆者は光栄に思う。



 余談だが、本作「群青~The City Is a Harsh Mistress~」は前編で、後編の構想も準備してある。というより話の分量が大分膨大になったので、前後編に分けざるを得なくなった。そして後編も一冊に収まるかどうかが分からない。
 という訳で、陰気なサーカスのスチームパンクシリーズという形でシリーズ化しようかな、などと考えている。何らかの反響があるなら続きを書くし、何もないならお蔵入りだ。一応、群青単体でも話が完結しているから、気が向いたら続きを書くかもしれない程度のお話。




 長々と書いたけれど、先日の京都秘封では本当に多くの方に筆者の拙作を手に取って貰えて、本当に嬉しかったです。重ねて、ありがとうございました。
 次は多分春例大祭。いつも通り(?)のメンヘラ小説になると思います。

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動物も居なければ、トランポリンもブランコも無い、道化師1人の演目を御覧あれ。


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